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静岡の大地(13)有度山と三保松原 2022年5月23日


 有度山(うどやま)の北の斜面に静岡県立大学草薙キャンパスがあり、静岡県立美術館や県立図書館がある。また有度山の西の斜面には静岡大学があり、西の麓近くには静岡県立大学小鹿キャンパスがある。有度山の東の端から三保松原が続き、山頂は日本平である。そのような有度山と三保松原の成り立ちを見ることにしたい。

国土地理院地形図による有度山と周辺の地形
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現在の静岡県立大学周辺(右)(小さい〇が大学の位置)と1894-1915年の地図(左)
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国土地理院地形図による静岡県立大学などの位置
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 駿河湾の沿岸近くにある有度山の山頂とその一帯が日本平と呼ばれている。富士山、伊豆半島、駿河湾、赤石山脈、南アルプス、御前崎などを望む場所である。眼下に静岡市清水区の街並み、清水港が広がり、JAMSTECが世界に誇る深海掘削船「ちきゅう」の大きな櫓を見ることもできる。また日本平ホテルからの夜景も美しい。

 有度山の山頂の標高は307mである。最近の10万年の間に300mほど隆起した。日本有数の激しい地殻変動と言える。新しく隆起した柔らかい地層は海からの風や波で浸食されるので、有度山の南側は浸食でできた急峻な崖の地形となっている。削り取られてできた土砂が沿岸流に流されて三保半島を形成する要因となった。丘陵の西から北縁にかけて活断層がある。

 有度山という名は、この地域に駿河国有度郡(うどのこおり)が置かれていたことに由来する。今、山腹には広葉樹林が茂り、茶畑や蜜柑畑が広がる。南の久能山(標高216m)の山腹に徳川家康ゆかりの久能山東照宮があり、日本平山頂から東照宮までを結ぶ日本平ロープウェイで行くことができる。南側からは急峻は崖に沿って石段がある。有度山の山頂近くには「山頂吟望台」と「日本平夢テラス」と「東展望台」がある。山頂から少し下りた場所に日本平ホテル、日本平ゴルフクラブ、梅園がある。静岡県内各放送局が共同で建設した、日本平デジタルタワーが山頂近くに設置されている。

 静岡県立大学の草薙キャンパスは、静岡市駿河区谷田にあるが、ヤマトタケルを祀る古い神社で知られる草薙神社が近くにあり、日本武尊東征のとき、草に火を放たれた尊が、剣で草を薙払い難を逃れた地と伝えられているため、全国的に通じる草薙の名をもらってキャンパスの名称になった。草薙神社は静岡市清水区にあり、駿河区と清水区の境界線は草薙キャンパスの中を通っている。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際に「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」(草薙剣)で草を薙ぎ、火打ち石で向火を放って賊の火責めを切り抜けた地で、後に父の景行天皇がこの地に建てた神社が草薙神社と伝えられている。例祭は9月20日で「龍勢花火」が打ち上げられる。神社の裏にある首塚稲荷は、日本武尊に滅ぼされ、賊となった先住者の霊を祭る社と伝えられ、地元の信仰を集めている。

 草薙キャンパスは丘陵地にあって、地震の揺れによる地盤の液状化の可能性はほとんどない場所であるが、看護学部と短期大学部がある小鹿キャンパスは、有度山の西の麓から西へ、大谷川放水路を渡った辺りの平坦地にあって、地震動による液状化の可能性のやや高い砂州の地盤にあり、それになりに地震対策の考え方も少し異なってくる。

地質:産総研シームレス地質による有度山と周辺の地質
凡例:22,23,24,30:第四紀更新世の地層、3:第四紀完新世扇状地の地層、10:第四紀完新世海成の地質、6:第四紀完新世自然堤防(含砂堤)の地層、1:人工改変地、60:第三紀中新世の地層
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 以上のような有度山を例えると、銅鑼焼が当てはまると思う。銅鑼焼の一部を切り落として見ると、有度山を南から見た形になり、苺の餡の部分が石垣苺の場所の第三紀の地層、銅鑼焼の上の皮部分が第四紀の新しい地層に対応する。

銅鑼焼(セブンイレブン)(左)と有度山の南側、根古屋から見た東照宮への崖


 三保は、東北方向に伸びた長さ約6kmの砂嘴である。安倍川がもたらした土砂と、有度山の南斜面の海食崖から削られた大量の砂礫が、東に運ばれ三保嶋が形成された。その三保嶋がいつ陸地に接続したかは明確ではない。戦国時代の記録には、三保から半島の付け根にある駒越まで徒歩で浜伝いに渡ったと記されており、この時期には浅瀬が形成されていたと考えられる。江戸時代には完全に陸地が形成されていたが道の整備はされてなかった。御穂神社への参詣は対岸から船で渡っていた。三保松原の保全は、明治31年(1898年)に保安林に指定されたことによって始まった。大正13年(1922年)には名勝に指定された。

 2013年(平成25年)6月、三保松原は富士山世界文化遺産の構成資産に登録された。三保松原の海岸には約3万本の松が生い茂り、一角には天女伝説で知られる羽衣の松がある。毎年10月には松前で三保羽衣薪能が開催される。御穂神社や常世神の通り道である「神の道」もある。

 静岡県立大学国際関係学部国際言語文化学科准教授で、国際関係学研究科准教授でもある鈴木さやかさんは、能「羽衣」の研究を続けており、オリジナル絵本「羽衣」(山階彌右衛門監修、鈴木さやか文、なかおまき絵)の読み聞かせを中心とした活動を行っている。絵本「羽衣」は日本語版の他、英語版、中国語版、韓国語版、フランス語版、ドイツ語版、スペイン語版、イタリア語版、インドネシア語版が発行されており、学生有志団体「羽衣つたえ隊」による活動もある。

 有度山の南側の急峻な崖を利用して石垣苺ができた。有度山の地層に根古屋層という地層があるが、その名になった根古屋は久能山東照宮への南からの石段の登り口である。その辺りが今、苺狩りを行う観光地になっている。4月の日曜日に東京から社長を務めている女性たち12名の団体客があり、登呂遺跡を訪れた後、その苺狩りに私も参加してたくさん苺を食べた。実は昔、私が大学に入学した年の夏休みに登呂遺跡を見学し、石垣苺という長い苺を初めて食べて驚いた記憶があり、懐かしい思いであった。

 私のブログの「薬草園歳時記」にはイチゴのことを書いたものがあり、それも参考にしてほしい。

石垣苺の苺狩り【2022年4月10日(日)】

 有度山の西の平坦地にある登呂遺跡は国の特別史跡である。登呂遺跡が発見されたのは、太平洋戦争最中の昭和18年(1943年)であった。戦闘機のプロペラをつくるための軍需工場の建設現場の土の中から土器や木製品などが偶然に見つかった。その時には短期間の簡単な発掘調査しか行われなかったが、住居、倉庫、水田の跡が土の跡に残っていることが分かり、土器、石器、木製品などが発掘された。この発見は、日本の考古学にとって大発見であり、戦後の日本では、登呂遺跡の発掘は、歴史を神話から科学的根拠に基づく史実への書き換えるものであり、弥生時代の稲作文化を証明する日本の考古学にとっての新たな一歩であった。

登呂遺跡の発掘調査の様子と再調査の時の忘れ物(静岡市登呂博物館の展示)

 昭和22年(1947年)から25年(1950年)にかけて、本格的な調査が開始され、考古学だけでなく、地理学、動植物学、建築学など、各分野の専門家が参加した。作業には多くの学生や市民が参加して、開放的な発掘調査の手法がとられた。この学際的な発掘調査が4年間にわたって実施され、現代の日本考古学の出発点となり、日本考古学協会の設立の契機となった。

 調査の結果、弥生時代後期の12軒の住居跡と2棟の倉庫跡から構成される集落跡と、その南に広がる同時期の灌漑用水路、護岸杭を伴う畦畔(けいはん)で区画された水田跡が検出された。弥生時代の農村の具体的な景観が導き出された重要な遺跡として、1952年に特別史跡に指定された。史跡指定に並行して、史跡公園「登呂公園」が整備された。

 平成11年(1999年)からの再発掘調査で新たな発見が相次ぎ、遺跡の再整備や登呂博物館の建て替えが行われ、現在の登呂博物館がリニューアルオープンされた。
尾池 和夫


参考文献
岡村 渉、静岡県登呂遺跡の再発掘調査、日本考古学、9 巻 (2002) 13 号

鈴木さやか、絵本を用いた古典教育の可能性を探るⅠ、Ⅱ、Ⅲ、国際関係?比較文化研究、 (2014、2015、2017)

鈴木さやか:地域の文化財「羽衣」の教育?観光への活用-学生×産学官による地域活性化
参考URL
静岡県立大学国際関係学部「羽衣つたえ隊」
https://hagoromo-tsutaetai.wixsite.com/home

薬草園歳時記(17)カジイチゴ、クサイチゴ、ヘビイチゴ
/guide/outline/oike02/may-2022/


下記は、大学外のサイトです。

静岡市立登呂博物館
https://www.shizuoka-toromuseum.jp/toro-site/history/

歴史文化のまち静岡 さきがけミュージアム
世界文化遺産「富士山」構成資産 三保松原
http://www.shizuoka-bunkazai.jp/mihomatsubara/page_001.html

静岡市三保松原文化創造センター
https://miho-no-matsubara.jp/

静岡新聞「まんが静岡のDNA」の記事でも静岡の大地を紹介しました。
https://www.at-s.com/news/article/featured/culture_life/kenritsudai_column/700397.html?lbl=849

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